「不二一元論」に関連した動画の一覧 |
![]() | 宗教学講座 初級コース 第125回 不二一元論(気づき) 「インドの「一元論哲学」を読む」シャンカラ「ウパデーシャサーハスリー」散文篇(宮元啓一著、春秋社)を題材にシャンカラの不二一元論を説明しています。これが1章と2章に分かれていて、前回までで第1章の「弟子を目覚めさせる方法」の説明を終わりました。今回は第2章の「気づき」で、ここがちょっと難しい部分があるのです。言葉の使い方がやっかいで丁寧に読まないといけません。けれども、シャンカラが言葉をどういう意味合いで使っているかを理解すれば比較的容易に理解できます。今回の講座でこの本の一番大事な部分を一通り全部説明して、不二一元論を終わろうと思っています。 シャンカラがなにを目的としたかというと、仏教によってアートマンは無いとインドの中で否定されてきましたが、そうではなくて、アートマンこそ真の実在であるということを宣言して、古来からのインドの伝統を復帰させる哲学を作ったということなのです。 (講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン) shanti-phula.net 2011年11月02日再生回数 227 |
![]() | 宗教学講座 初級コース 第122回 不二一元論(梵我一如) 前回シャンカラの不二一元論のおおまかなストーリーを説明したのですが、ヴェーダーンタ学派の根本経典「ブラフマ・スートラ」から流出論を排斥することで、ブラフマ・スートラ上手く説明できるようになったということでした。流出論を排斥したという意味合いがどういうことなのかが今回のテーマです。何が問題かということを分からないといけません。それは「梵我一如」の意味なのです。アートマン=ブラフマン、梵我一如の梵とはなんなのか、我とはなんなのか、この言葉の意味が全然定義されていないのです。 サーンキヤ哲学を復習しておきます。 自己(プルシャ) ↓ 自性(プラクリティ)→心→我執→・・・ サーンキヤ哲学は二元論です。自性から世界が展開し、自己は何もしないただの傍観者です。自性から世界が流出してそこに帰って行くというのがインド最初の哲学者ウッダーラカ・アールニの「有」の哲学ですから、ウッダーラカの立場で言うとブラフマンは自性(プラクリティ)になるのです。ところが、同時代のヤージュニャヴァルキヤはアートマン(真の自己)ということを言い出して、梵我一如、アートマンとブラフマンの同一性ということを言い出すわけです。そうするとブラフマンが自己ということになります。梵我一如とは何を言っているのか、誰も定義できないということが問題なのです。 (講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン) 2011年11月02日再生回数 226 |
![]() | 宗教学講座 初級コース 第123回 不二一元論(あなたは誰か) 「インドの「一元論哲学」を読む」シャンカラ「ウパデーシャサーハスリー」散文篇(宮元啓一著、春秋社)。シャンカラの著作として認められているも。非常に読みやすい良い本です。宮元啓一さんがシャンカラの哲学を非常に良く理解しているので解説が非常に明晰で分かりやすい。 ================================= 「このように天啓聖典と憶念聖典とによって最高自己の特徴を理解し、輪廻の海を渡ろうと願う弟子に、次のように問うべきである。すなわち、「愛児よ、あなたは誰か。」と。p38 ================================= ラマナ・マハリシと同じですね。「わたしは誰か」と自分に問いかけなさい、と言っている。 shanti-phula.net 2011年11月02日再生回数 176 |
![]() | 宗教学講座 初級コース 第121回 不二一元論(流出論) シャンカラの不二一元論(アドヴァイタ)を説明したいと思います。「インドの「一元論哲学」を読む」(宮元啓一著、春秋社)の最初の部分はシャンカラの著作を解説しています。良くまとまっていて非常に優れているので、その部分を取り上げたいと思います。シャンカラは隠れ仏教徒と言われており、その哲学は仏教とほとんど差がありません。唯一の違いは何かというと、アートマンを認めるということです。仏教はアートマンやブラフマンを認めません。ここだけが違うというぐらいで、思想的な部分は仏教に依存しているのです。 これまで非常に長い間、大乗仏教を丁寧に説明してきました。かなり難しいこと、大学の東洋哲学の哲学科の人も分かっていないような、研究者の方もはたと膝を打つ内容をやってきているつもりです。だからこれまでついて来れた方は、シャンカラの不二一元論はものすごく簡単です。仏教はプルシャとプラクリティを認めないが故に支離滅裂になっていて、何を言いたいのか全然分からないということになってしまうし、各派閥によって言っている意味が全部違っています。そういうことが、シャンカラの場合は一人の哲学ですからないわけで、非常に明晰なのです。そういう意味で言うと、最も分かりが良く簡単だということになります。それは大乗仏教の知識を前提として簡単であるということです。大乗仏教とか唯識論、サーンキヤ哲学を全然知らないで、シャンカラの哲学だけ最初に読んだら全く分かりません。歴史的にも順番にそうなっており、前のものの基礎を前提としてある程度理解できている人は、シャンカラが何を言いたいかという要点さえ掴めば、これは非常に明解で簡単、シンプルな哲学であるということです。 (講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン) shanti-phula.net 2011年11月02日再生回数 204 |
![]() | 宗教学講座 初級コース 第124回 不二一元論(差異の理解) 「インドの「一元論哲学」を読む」シャンカラ「ウパデーシャサーハスリー」散文篇(宮元啓一著、春秋社)のつづきの部分から説明をしていきたいと思います。 単に「自己」「私」という言葉の意味を理解できていたら、すらすら理解できる類のもので、哲学というのはそういうものなのです。それが間違って理解していると、何をいっているのか分からなくなる、ただそれだけのことです。 ============================= したがって、 差異の理解は禁ぜられているのであるから、 また、祭祀に入れ込むことは差異の領域に属することであるから、また、聖紐などは祭祀の手段であるから、祭祀の手段に入れ込むことは、〔個別自己と〕最高自己とが不異であるとの気づきにもとづいて禁ぜられたのだと知られるべきである。 p70−71 ============================= ※ 聖紐(せいちゅう) 聖紐には人が亡くなってから天国へ行く時、その前に渡らなければいけないバイタルニー川(三途の川)を楽に渡れるようにとの祈りが込められています。手首に巻いた聖紐は、<ティハール>というお祭りの時、牛の尻尾に巻きます。そうする事で三途の川を渡る際に、その牛の尻尾を掴んで簡単に川を渡ることができると信じられています。 shanti-phula.net 2011年11月02日再生回数 129 |
![]() | 宗教学講座 初級 第7回 意識の進化と界層(ウパニシャッド1) ウパニシャッド[奥義書]は、聖仙といわれる人たちが直感によって直接神から聞き取った言葉を綴ったものであり、そこには誤りはないと信じられている。しかし、研究者によれば、その内容には明らかに一貫性がなく、相互に矛盾しているところが見られるという。 今回と次回でウパニシャッドに含まれる大きな流れと問題点、正確な意味ではこうでないといけないというところをざっと見ていく。 その中には、聞いたことはないかもしれない、一元論、二元論、不二一元論、マーヤー説、シャンカラ哲学、サーンキヤ哲学などの言葉も現れる。 2009年08月14日再生回数 2771 |
![]() | 家族の絆 〜夫婦(81):サーカーの思想:古代エジプトの信仰 〜 エジプトの文明や南米の文明など、いろいろなところに、かつてアトランティス人であった人々が移住をしたという伝説があります。エジプトの文明は私たちが目にすることができる恐らく現在では唯一のものであって、あとのものは伝承として残っているかもしれないけれども、一般人の私たちには届かないということです。 これがギザの三大ピラミッドの中で一番有名なクフ王のピラミッド、カフラー王、メンカウラー王のピラミッドです。この中でメンカウラー王のピラミッドがちょっと小さい。この3つのピラミッドの位置関係と、オリオンの三つ星の位置関係がぴったり重なります。これを見せられたら、(三大ピラミッドはオリオン座の三ツ星を表したものであるとする)ボーヴァルの説は正しいとしか言いようがありません。 (講演内容を元に編集:文責ユニティ・デザイン) shanti-phula.net 2011年12月09日再生回数 441 |






