「天平宝字」に関連した動画の一覧 |
![]() | 箱根神社 - 地域情報動画サイト 街ログ ★詳しくは地域情報動画サイト 『街ログ』 で⇒ machi-log.jp 奈良時代末期の757(天平宝字1)年に全国各地をまわっていた僧万巻(まんがん)上人が、箱根山中にあった駒ヶ岳の神仙宮、般若寺、神山の神宮の3寺社を統一し祀ったという、箱根権現が前身。元箱根からの参道途中には宝物殿があり、重要文化財の『箱根権現縁起絵巻』や、関東最古の肖像彫刻、万巻上人座像などが置かれ、見学できる。社殿裏手にはヒメシャラの純林があり、6月下旬~7月上旬には白い花をつける。純林内を横切る北参道は散策にぴったり。平成19年には「箱根神社御鎮座1250年式年大祭」を実施。 2009年04月16日再生回数 2153 |
![]() | 櫛田神社 博多の総鎮守として、「お櫛田さん」の愛称で広く市民から親しまれている神社。祭神は大幡主命(櫛田宮)・天照皇大神(大神宮)・素戔鳴尊(祗園宮)。天平宝字元年(757)、人皇第四十六代・孝謙天皇の御代。平清盛が博多を日宋貿易の拠点港とした平安末期に御託宣により鎮祭され、この櫛田神社は伊勢松坂の櫛田神社を勧進したものだと考えられている。当社に奉納される博多祇園山笠は、博多の夏の風物詩として全国的にも有名。境内には「櫛田の銀杏」が葉を繁らせ、その根元には2点の蒙古碇石がある。 2008年03月31日再生回数 2734 |
![]() | 【満葉公園】 別名:万葉歌公園 【満葉公園】 別名:万葉歌公園◆戸苅八剣社、築込の住吉社の境内地、分園として高松の白山社の東側が主に公園地となっている。 特に戸苅の八剣社一帯は、古来自然林と萩の群生地をなし、その規模は大にして今日に残る他に例をみず秋日開花の景観はまことに万葉の古を忍に足る。 この地を標める萩を保護し万葉の歌碑を建てて公園とし、市民の憩いの場を造る。 昭和32年春、戸苅の八剣社に4基、築込の住吉社に1基、高松の白山社に1基、合計6基の万葉の歌碑を建設し万葉の昔を偲び万葉公園と命名された。 --------------------------------- 〆 やまぶき 鷹の来鳴く山吹 うたがたも君が手触れず 花散らめやも『万葉集』(まんようしゅう、萬葉集)は、7世紀後半から8世紀後半ころにかけて編まれた日本に現存する最古の和歌集であります。 天皇、貴族から下級官人、防人などさまざまな身分の人間が詠んだ歌を4500首以上も集めたもので、成立は759年(天平宝字3)以後とみられています。 日本文学における第一級の史料であることは勿論ですが、方言による歌もいくつか収録されており、さらにそのなかには詠み人の出身地も記録されていることから、方言学の資料としても非常に重要な史料であると思います。 --------------------------------- 〆 学生時代に授業で習った方もおられるかと思いますが、その難解さに辟易とされた記憶があるのではないでしょうか。 しかし、ほんとうの万葉集は万葉時代の人間の喜怒哀楽、神への祈りが歌に託されている、もっと楽しく読める詩歌集です。 古典というかたぐるしさにとらわれることなく、ぜひ万葉集の世界を楽しんでみてください。 -------------------------------- 手始めに、この公園から・・・ 【満葉公園】 案内地図www.mapion.co.jp 《 日めくり万葉集 ... 2011年05月29日再生回数 143 |
![]() | 土佐国分寺の梵鐘 平成22年6月11日 四国八十八箇所29番の土佐国分寺に行ってきました。ここは、土佐国の国府跡から西に徒歩約15分の位置にあります。聖武天皇が発した「国分寺建立の詔」により全国に建立された国分寺の一つであり、創建年は天平勝宝8年(756年)以前からこの地にあり、境内全域が国の史跡で歴史を重ねた由緒あるお寺とのことです。後年の930年から、「土佐日記」で有名な紀貫之も国司として国分寺周辺に4年間滞在していたんだと思いながらお寺の周りも散策したことでした。さて、境内はチリ一つなく掃清められ、庭木も手入れが行届き、5時以降参拝者が少なくなる境内は静かで、心静まる美しいお寺です。 「梵鐘」は、今の季節は朝、夕六時の時報で鳴らしているそうで、機械による自動でした。この「梵鐘」は、近年の作で、国指定の重要文化財の「梵鐘」は大事に保存されているようです。撮影は、午後5時40分頃から開始。梵鐘を7回鳴らす映像を元に、境内の様子、鐘楼や山門、金堂、梵鐘の彫刻や銘等の映像を挿入し編集、音声はオリジナルですので鐘の鳴る「間」をお聴き下さい。急ぎ足の多いお遍路さんでは、鐘の音を聴かれた方は少ないのではと思いアップします。 梵鐘の鳴る間や強弱の音色は、機械仕事であり何度聞いても変化無いはずですが、その日の天候や季節によっても響きが違ってくると思います。梅雨入前の夕日が差込む境内に響き渡る「鐘の音」の余韻を聴いて、遠く聖武天皇の奈良時代から続く古刹の風情をお楽しみ下さい。 6/17追記。ここの御詠歌を紹介しておきます。 国を分け宝を積みて建つ寺の 末の世迄の利益のこせり 2010年06月14日再生回数 798 |
![]() | 西大寺中3丁目(五福通り) フォトムービー 【西大寺駅】1962年(昭和37年)JR西日本赤穂線全駅開通【観音院】寺伝によれば、751年(天平勝宝3年)藤原皆足姫が観音像を安置したことに始まり、777年(宝亀8年)安隆が堂宇を建立したとされる。元々は犀の角を戴き鎮めた地に建立したことから、犀載寺と称したが、後に改称したとされる。 【五福通り】今、古い町並は主に、岡山市東区西大寺中3丁目の「五福通り」と西大寺東3丁目の旧河本町に残っている。どちらの町並も江戸時代末期から明治にかけて建てられた、漆喰塗り込め・ナマコ壁の商家の建物で構成されていて、川湊全盛期の町並がそのまま残ったようであった。その中で五福通りの所々に、洋風の建物が建てられていて、意外性というか、新鮮味のある町並であった。是非 大変でしょうが保存してほいです。 参照【古い町並み】matinami.o.oo7.jp 【wikipedia】ja.wikipedia.org 【wikipedia】ja.wikipedia.org 2011年10月12日再生回数 222 |
![]() | HD 満開の桜、百済寺、Full-bloomed cherry blossoms、癒されて下さい。2011年4月9日 百済寺と横の公園の桜の花を孫夫婦と家内とで行きました、近所です、午後1時過ぎには青空が少し顔を出してくれ少し暖かく成り楽しく花を愛でる事が出来ましたので、御ゆっくり御覧下さいませ。 1941年1月27日に国の史跡に指定され、更に昭和27(1952)年3月29日に特別史跡(枚方市、天平勝宝2(750)年頃に百済王敬福)によって建立されたと言われている。 2011年04月09日再生回数 321 |
![]() | 栗花(つゆ)の森(都由乃町) 兵庫区都由乃町(つゆのちょう)には、栗花(つゆ)の森伝説がある。 天平宝字8年(764)丹生山田庄(現在の北区山田町)の郡司・山田左衛門尉真勝は、右大臣藤原豊成の二女白滝姫に恋をした。二人の恋は帝の耳にまで達し、仲をとりもち夫婦にされた。栗の花咲く梅雨のころ、このあたりを婚儀の列が通ったという。 真勝が恋した白滝姫を連れて山田の里に帰る途中、石井村の北の森で休んだ。そのころは梅雨時であったが日照りが続き、村人たちが困っていた。それを聞いた姫が、手にした杖で地面を突くと清水が湧き出した。ちょうどその水面に栗の花びらが落ちて浮かんだという。村人は大変喜んでこの森に姫を祀り、栗花(つゆ)の森と呼んだという。これが都由乃(つゆの)町の名のおこりだという。 この森の南の東西への道は、鵯越(ひよどりごえ)を経て山田へ行く古道でした。森には、昭和48年神戸市が保護樹木に選定した大きな榎(えのき)が二本ある。 2011年08月27日再生回数 53 |
![]() | 多賀城国府跡-宮城県奈良時代 奈良時代 宮城県 多賀城 国府跡・平城京、常陸国、下野国、靺鞨(まっかつ)国、蝦夷国から多賀城までの行程・神亀元年(724)に多賀城が大野東人によって創建されたこと・天平宝字6年(762)に恵美朝狩によって修築され、記念にこの碑が建立されたことが141文字で刻まれているこの碑はまた、歌枕で有名な「壷碑(つぼのいしぶみ)」とされ、松尾芭蕉も訪れたことが『おくのほそ道』に記され 2010年05月26日再生回数 256 |
![]() | 猫に声明を聴かせてみた|始段唄・散華・天台声明&南無観自在と猫 【読者投稿ビデオ】 投稿者:星野正樹(丹波市) 「猫に声明を聴かせてみた|始段唄・散華・天台声明&南無観自在と猫」 声明(しょうみょう)とは日本の伝統音楽の一つ。仏典に節をつけたもので儀礼に用いられる宗教音楽である。日本では、梵唄(ぼんばい)・梵匿(ぼんのく)・魚山(ぎょざん)ともいう。旧字体では聲明と書く。 古代インドの学問分野(五明・ごみょう)の一つ。五明とは、聲明(音韻学・文法学)・工巧明(工芸・技術論)・医方明(医学)・因明(倫理学)・内明(自己の宗旨の学問、仏教者の場合は仏教学)の5種類の学問分野を指す。日本への仏教伝来と共に伝わり定着した。754年(天平勝宝4年)に東大寺大仏開眼法要のときに聲明を用いた法要が行われた記録があり、奈良時代には、聲明が盛んにおこなわれていたと考えられる。 平安時代初期に最澄・空海がそれぞれ聲明を伝えて、天台聲明・真言声明の基となった。 天台宗・真言宗以外の仏教宗派にも、各宗独自の聲明があり、現在も継承されている。 聲明は口伝(くでん)で伝えるため、現在の音楽理論でいうところの楽譜に相当するものが当初はなかった。そのため、伝授は困難を極めた。後世になってから楽譜にあたる博士(はかせ)が考案された。なお、各流派により博士などの専門用語には違いがある。 しかし博士はあくまでも唱えるための参考であり、聲明を正式に習得しようとすれば、口伝(「ロイ」とも言う。指導者による面授。)が必要不可欠であり、師から弟子への流派の維持・継承は出来ない。そのために指導者・後継者の育成が必須であった。さまざまな条件が重なって、多くの流派が廃絶してしまった。 天台声明 天台声明は最澄が伝えたものが基礎となり、独自の展開をした。 最澄以後は、円仁・安然が興隆させた。融通念仏の祖 ... 2011年12月09日再生回数 565 |
![]() | 「お水取り」東大寺二月堂2012年 東大寺 二月堂修二会 (お水取り) 752年(天平勝宝4年=東大寺・大仏開眼法要が行われた年)に東大寺開山良弁僧正の高弟・実中和尚によって始められたと伝えられている。2012年(平成24年)で1261回を数える。 旧暦の2月1日から行われ、2月に修する法会という意味で「修二会」=(正式には「十一面悔過」と云う)と呼ばれる。 東大寺・二月堂は、十一面観世音菩薩を本尊とし、国家安泰と豊楽を祈る行事。「修二会」が行われるお堂ということから「二月堂」と呼ばれるようになった。 毎年3月1日から14日に行われている。 2012年03月15日再生回数 51 |









