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![]() | 小幡英之介の銅像 歯科医師第一号小幡英之介は中津市出身.。慶応義塾を卒業後、慶応義塾を福沢諭吉の片腕として創設運営した叔父の小幡篤次郎の勧めで医者の修行をするが、後に、米国人歯科医エリオットの元で歯科医療を学び、日本における歯科医師第一号となった。但し、「人の上に人をつくらず」と説いた「学問のすすめ」を実質的に書いた篤次郎は英之介が歯科を学ぶにあたり「士の業にあらず」と反対した。 臨終にあたり、「墓標を造るな」と遺言し、長い間、英之介の墓が造られなかった。これは故郷中津市に長男として生まれた小幡家先祖の墓があることを知っているので、東京には造るなと言ったとも考えられる。慶応義塾に在籍していた頃、後の東京歯科大学を創設した高山紀斎氏も在籍していた。共に「長州征討」に参加しているなど縁がある。しかし、社会活動の面で二人は正反対であった。小幡英之介は開業医試験を歯科で受け開業医免許を得たが、高山紀斎はアメリカの歯科医学校を卒業し、日本では内外科で開業医免許を受け歯科で開業している。また、英之介は医籍としては第4号であった。 当時、福沢諭吉は、篤次郎、英之介も含め中津の優秀な人材を根こそぎ東京へ引っ張り、そのために中津が寂れたと云われた。今では一万円札にて、故郷でも名誉挽回である。 www.pref.oita.jp 2011年08月18日再生回数 75 |
