「新人物往来社」に関連した動画の一覧 |
![]() | るろうに剣心続編〔北海道編〕その4 まだその1を観ていない方はその1からどうぞ。 ブッ壊れた斎藤さんが出てくるのは今回の4:48までです。なんていうかいろいろとすいませんした しっかし恋愛モノはうp主苦手じゃし、感情のある宗次郎ってどんな性格なんかよう分からんし、今回は苦労したのー(汗) ちなみに一応断っておきますがこの物語はフィクションです。時々史実が混じってるからってだまされちゃダメだぜ?(笑) 〔追記〕∑だーっ!SE入れ忘れた―!もう面倒くさいからいいや(笑)でも参考文献は一応ここに載っけときます。赤間倭子『新撰組副長助勤 斎藤一 新装版』2003 新人物往来社 2009年02月03日再生回数 29838 |
![]() | 鎌倉古寺社百選ー佐助稲荷神社は森の霊気の最高の癒しスポット 鎌倉古寺社百選ー佐助稲荷神社は森の霊気の癒しスポット(11月7日撮影) 鎌倉駅西口を降りて、表示にしたがって銭洗弁天、佐助稲荷に向かう。途中、鎌倉の古い街並み、源氏山周辺の緑あふれる高級住宅街な中を通って隧道を抜けて20分ほどかかるが古都鎌倉の歴史散歩道であり、楽しいハイキングともなる。 華表に従って入ると道は細くなり、赤い鳥居とのぼりが色鮮やかに参道にびっしりと建ち並び、華やかさが緑の中に強いコントラストをつくる。おもわず、ビデオを回したくなる霊場の雰囲気である。本殿はその背後の山にあり、石段を上るとのぼりの旗がひらめき、明治二十八年造社殿がある。昔は殆んど廃址になっていた所に建てたものである。ここは銭洗弁天とちがって訪れる人は少ないが、私は大変気に入っており、縁結びも売り物にしているので若いカッツプルにも、老若男女すべてにお勧めのパワースポットといえる。 石段を50段ほど登ると、うっそうとした大木に囲まれた静かで、しんしんと山の霊気が身体にしみてくる。その自然にあふれた中に本殿がある。 この稲荷の縁起はガイドブックでは諸説ある。 鎌倉の主となった源頼朝が、まだ伊豆の蛭ケ小島にいた頃、病をわずらって高熱に苦しんでいると、この稲荷が老人となって夢枕に立って天下統一の旗上げをすすめた。 そして老人は、われは鎌倉の隠れ里に住む稲荷だといって消えた。頼朝は、その老人からもらった薬を煎じて服用すると、熱はただちにとれ、気分も不思議とさわやかになった。やがて頼朝は、平家も討ち源家再興の宿願もなし得ると、この隠れ里の稲荷をさがし出して新しい社を建てた。 そもそも稲荷は農耕の神さま、平和な神さまだが、この神は政争をうながし軍陣をうながした神として、この佐助稲荷は日本でも珍しいもの。その神も、いまは ... 2011年11月07日再生回数 212 |
![]() | 鎌倉古寺百選ー日蓮ゆかりの「東身延」と呼ばれる本覚寺 本覚寺(小町1丁目12-12) 鎌倉駅を出て、若宮通りにでて、鎌倉郵便局の横の道を進むと、本覚寺がある。この間、3分もかからない。大半の観光客が小町通りから鶴岡八幡宮に向かうのよりは、よほどの古寺巡礼となるのでお勧めのお寺である。 入るのは妙本寺に向かう夷堂橋の前に本覚寺の仁王門があるので,まず夷堂橋に立つ滑川を見てほしい、川の両側に緑が生い茂り、古都鎌倉の四季折々の小川の風景が楽しめる。 それから、正面の本覚寺の仁王門に入るのがお勧め。その時、安置している2天王の持国天、毘沙門天をみると、すごい迫力で隆々と力を注入される。 本覚寺。正式には妙厳山本覚寺。開山は一乗日出。永享八年(一四三六)創建。本尊は三宝祖師。日蓮宗。もと身延山久遠寺の末寺。鎌倉・江ノ島七福神のうちの恵比寿。 本寺が建つ地は、源頼朝が幕府の裏鬼門にあたるとして、夷堂を建て守護神の夷神を祀ったところと伝えられる。1271年(文永八)年、日蓮は竜口の刑場で斬首されかけたが、あやうく難をまぬかれて佐渡へ流罪となった。文永十一年(一二七四)、佐渡流罪から許されて鎌倉に帰った日蓮は、身延山に出発するまでの数十日間、このお堂に止宿したという。その後、日出(1381~1459)が夷堂に住んで日蓮の教えを広めたという。日出は他宗の迫害や足利持氏に捕えられたりしたが、のちには持氏の厚い信頼を得て、1436 (永亨八)年、本寺を開創したとされる。 日出は他宗の迫害や足利持氏に捕えられたりしたが、のちには持氏の厚い信頼を得て、一四三六(永亨八)年、本寺を開創したとされる。 二世住持の日朝(一四二二~一五〇〇)は幼くして日出に師事し、のちに身延山久遠寺の貫主となった室町時代の代表的な日蓮宗の学僧で、日蓮の未発表の文章(「日蓮遺文」)の ... 2011年11月01日再生回数 177 |
![]() | 鎌倉古寺百選ー竹林の美しい和風美の報国寺①、癒しポイント★4 竹庭と石庭が有名で「竹の寺」と呼ばれる報国寺(鎌倉市浄明寺二丁目七-四) このお寺の庭もユニークで一見の価値がある。同じ金沢街道の並びにある五百鎌倉最古のお寺「杉本寺」や「浄妙寺」と一緒にお参りすれ鎌倉仏教の一面がよくわかる。女性に特に人気のお寺である。 正式には功臣山建忠報国寺。宅間ガ谷にあったので古くは宅間寺といわれていたが、いまは「竹ノ寺」と呼ばれる。 山門を入ると、すぐ右手に瑠璃の大原石があり、鐘楼脇には元弘三年(1333)5月12日、北条高時に殉じた幕府軍将士の基という五輪塔群がある。永享十年(1438)乱で敗れた鎌倉公方足利持氏が翌年二月十日に永安寺で死ぬと、その子足利義久も、同二月二十八日、11歳で当寺で自刃している。本堂背後の竹庭と石庭は有名で、そのため当寺は「竹ノ寺」と俗称されるが、その庭の前方の崖中腹のやぐらには、足利家時墓、足利義久基という石塔がある。ノーベル文学賞を受賞した川端康成が、「山の音」執筆時に用いたという小机が本堂にある。 竹林が特に有名になったが、さして広いものではない。竹林の中の十字の小道から360度の竹林が日中の刻々と変わる光線の加減でしなやかに伸びきったブルーの青竹と節くれの模様が何とも言えない陰影とシンフォニーを奏でて、見あきない。 竹林にカフェがあるので、ここから眺めてもいいが、女性客の嬌声が雰囲気を壊している。ゆっくりと竹林を回ることをお勧めしたいので、平日にこそいくべきお寺であろう。 寺の歴史は諸説ある。寺伝などによれば、開基は足利家時、開山は天岸慧広、開創は建武元年(1334)という。 本尊は南北朝期の作の木造釈迦如来坐像。室町期には諸山に列せられた臨済禅建長寺派。 貞事二年(1685)成立の『新編鎌倉志」は、「源尊氏の祖父伊予守家時の建立なり。家時を ... 2011年11月16日再生回数 88 |
![]() | 鎌倉古寺百選ー竹林の美しい和風美の報国寺⑥、癒しポイント★4 竹庭と石庭が有名で「竹の寺」と呼ばれる報国寺(鎌倉市浄明寺二丁目七-四) このお寺の庭もユニークで一見の価値がある。同じ金沢街道の並びにある五百鎌倉最古のお寺「杉本寺」や「浄妙寺」と一緒にお参りすれ鎌倉仏教の一面がよくわかる。女性に特に人気のお寺である。 正式には功臣山建忠報国寺。宅間ガ谷にあったので古くは宅間寺といわれていたが、いまは「竹ノ寺」と呼ばれる。 山門を入ると、すぐ右手に瑠璃の大原石があり、鐘楼脇には元弘三年(1333)5月12日、北条高時に殉じた幕府軍将士の基という五輪塔群がある。永享十年(1438)乱で敗れた鎌倉公方足利持氏が翌年二月十日に永安寺で死ぬと、その子足利義久も、同二月二十八日、11歳で当寺で自刃している。本堂背後の竹庭と石庭は有名で、そのため当寺は「竹ノ寺」と俗称されるが、その庭の前方の崖中腹のやぐらには、足利家時墓、足利義久基という石塔がある。ノーベル文学賞を受賞した川端康成が、「山の音」執筆時に用いたという小机が本堂にある。 竹林が特に有名になったが、さして広いものではない。竹林の中の十字の小道から360度の竹林が日中の刻々と変わる光線の加減でしなやかに伸びきったブルーの青竹と節くれの模様が何とも言えない陰影とシンフォニーを奏でて、見あきない。 竹林にカフェがあるので、ここから眺めてもいいが、女性客の嬌声が雰囲気を壊している。ゆっくりと竹林を回ることをお勧めしたいので、平日にこそいくべきお寺であろう。 寺の歴史は諸説ある。寺伝などによれば、開基は足利家時、開山は天岸慧広、開創は建武元年(1334)という。 本尊は南北朝期の作の木造釈迦如来坐像。室町期には諸山に列せられた臨済禅建長寺派。 貞事二年(1685)成立の『新編鎌倉志」は、「源尊氏の祖父伊予守家時の建立なり。家時を ... 2011年11月16日再生回数 79 |
![]() | 鎌倉古寺百選ー竹林の美しい和風美の報国寺④、癒しポイント★4 竹庭と石庭が有名で、「竹の寺」と呼ばれる報国寺(鎌倉市浄明寺二丁目七-四) このお寺の庭もユニークで一見の価値がある。同じ金沢街道の並びにある五百鎌倉最古のお寺「杉本寺」や「浄妙寺」と一緒にお参りすれ鎌倉仏教の一面がよくわかる。女性に特に人気のお寺である。 正式には功臣山建忠報国寺。宅間ガ谷にあったので古くは宅間寺といわれていたが、いまは「竹ノ寺」と呼ばれる。 山門を入ると、すぐ右手に瑠璃の大原石があり、鐘楼脇には元弘三年(1333)5月12日、北条高時に殉じた幕府軍将士の基という五輪塔群がある。永享十年(1438)乱で敗れた鎌倉公方足利持氏が翌年二月十日に永安寺で死ぬと、その子足利義久も、同二月二十八日、11歳で当寺で自刃している。本堂背後の竹庭と石庭は有名で、そのため当寺は「竹ノ寺」と俗称されるが、その庭の前方の崖中腹のやぐらには、足利家時墓、足利義久基という石塔がある。ノーベル文学賞を受賞した川端康成が、「山の音」執筆時に用いたという小机が本堂にある。 竹林が特に有名になったが、さして広いものではない。竹林の中の十字の小道から360度の竹林が日中の刻々と変わる光線の加減でしなやかに伸びきったブルーの青竹と節くれの模様が何とも言えない陰影とシンフォニーを奏でて、見あきない。 竹林にカフェがあるので、ここから眺めてもいいが、女性客の嬌声が雰囲気を壊している。ゆっくりと竹林を回ることをお勧めしたいので、平日にこそいくべきお寺であろう。 寺の歴史は諸説ある。寺伝などによれば、開基は足利家時、開山は天岸慧広、開創は建武元年(1334)という。 本尊は南北朝期の作の木造釈迦如来坐像。室町期には諸山に列せられた臨済禅建長寺派。 貞事二年(1685)成立の『新編鎌倉志」は、「源尊氏の祖父伊予守家時の建立なり。家時 ... 2011年11月16日再生回数 89 |
![]() | 鎌倉古寺百選ー竹林の美しい和風美の報国寺⑤、癒しポイント★4 竹庭と石庭が有名で「竹の寺」と呼ばれる報国寺(鎌倉市浄明寺二丁目七-四) このお寺の庭もユニークで一見の価値がある。同じ金沢街道の並びにある五百鎌倉最古のお寺「杉本寺」や「浄妙寺」と一緒にお参りすれ鎌倉仏教の一面がよくわかる。女性に特に人気のお寺である。 正式には功臣山建忠報国寺。宅間ガ谷にあったので古くは宅間寺といわれていたが、いまは「竹ノ寺」と呼ばれる。 山門を入ると、すぐ右手に瑠璃の大原石があり、鐘楼脇には元弘三年(1333)5月12日、北条高時に殉じた幕府軍将士の基という五輪塔群がある。永享十年(1438)乱で敗れた鎌倉公方足利持氏が翌年二月十日に永安寺で死ぬと、その子足利義久も、同二月二十八日、11歳で当寺で自刃している。本堂背後の竹庭と石庭は有名で、そのため当寺は「竹ノ寺」と俗称されるが、その庭の前方の崖中腹のやぐらには、足利家時墓、足利義久基という石塔がある。ノーベル文学賞を受賞した川端康成が、「山の音」執筆時に用いたという小机が本堂にある。 竹林が特に有名になったが、さして広いものではない。竹林の中の十字の小道から360度の竹林が日中の刻々と変わる光線の加減でしなやかに伸びきったブルーの青竹と節くれの模様が何とも言えない陰影とシンフォニーを奏でて、見あきない。 竹林にカフェがあるので、ここから眺めてもいいが、女性客の嬌声が雰囲気を壊している。ゆっくりと竹林を回ることをお勧めしたいので、平日にこそいくべきお寺であろう。 寺の歴史は諸説ある。寺伝などによれば、開基は足利家時、開山は天岸慧広、開創は建武元年(1334)という。 本尊は南北朝期の作の木造釈迦如来坐像。室町期には諸山に列せられた臨済禅建長寺派。 貞事二年(1685)成立の『新編鎌倉志」は、「源尊氏の祖父伊予守家時の建立なり。家時を ... 2011年11月16日再生回数 114 |
![]() | 鎌倉古寺百選ー竹林の美しい和風美の報国寺②、癒しポイント★4 竹庭と石庭が有名で、「竹の寺」と呼ばれる報国寺(鎌倉市浄明寺二丁目七-四) このお寺の庭もユニークで一見の価値がある。同じ金沢街道の並びにある五百鎌倉最古のお寺「杉本寺」や「浄妙寺」と一緒にお参りすれ鎌倉仏教の一面がよくわかる。女性に特に人気のお寺である。 正式には功臣山建忠報国寺。宅間ガ谷にあったので古くは宅間寺といわれていたが、いまは「竹ノ寺」と呼ばれる。 山門を入ると、すぐ右手に瑠璃の大原石があり、鐘楼脇には元弘三年(1333)5月12日、北条高時に殉じた幕府軍将士の基という五輪塔群がある。永享十年(1438)乱で敗れた鎌倉公方足利持氏が翌年二月十日に永安寺で死ぬと、その子足利義久も、同二月二十八日、11歳で当寺で自刃している。本堂背後の竹庭と石庭は有名で、そのため当寺は「竹ノ寺」と俗称されるが、その庭の前方の崖中腹のやぐらには、足利家時墓、足利義久基という石塔がある。ノーベル文学賞を受賞した川端康成が、「山の音」執筆時に用いたという小机が本堂にある。 竹林が特に有名になったが、さして広いものではない。竹林の中の十字の小道から360度の竹林が日中の刻々と変わる光線の加減でしなやかに伸びきったブルーの青竹と節くれの模様が何とも言えない陰影とシンフォニーを奏でて、見あきない。 竹林にカフェがあるので、ここから眺めてもいいが、女性客の嬌声が雰囲気を壊している。ゆっくりと竹林を回ることをお勧めしたいので、平日にこそいくべきお寺であろう。 寺の歴史は諸説ある。寺伝などによれば、開基は足利家時、開山は天岸慧広、開創は建武元年(1334)という。 本尊は南北朝期の作の木造釈迦如来坐像。室町期には諸山に列せられた臨済禅建長寺派。 貞事二年(1685)成立の『新編鎌倉志」は、「源尊氏の祖父伊予守家時の建立なり。家時 ... 2011年11月16日再生回数 78 |
![]() | 鎌倉古寺百選ー竹林の美しい和風美の報国寺③、癒しポイント★4 竹庭と石庭が有名で「竹の寺」と呼ばれる報国寺(鎌倉市浄明寺二丁目七-四) このお寺の庭もユニークで一見の価値がある。同じ金沢街道の並びにある五百鎌倉最古のお寺「杉本寺」や「浄妙寺」と一緒にお参りすれ鎌倉仏教の一面がよくわかる。女性に特に人気のお寺である。 正式には功臣山建忠報国寺。宅間ガ谷にあったので古くは宅間寺といわれていたが、いまは「竹ノ寺」と呼ばれる。 山門を入ると、すぐ右手に瑠璃の大原石があり、鐘楼脇には元弘三年(1333)5月12日、北条高時に殉じた幕府軍将士の基という五輪塔群がある。永享十年(1438)乱で敗れた鎌倉公方足利持氏が翌年二月十日に永安寺で死ぬと、その子足利義久も、同二月二十八日、11歳で当寺で自刃している。本堂背後の竹庭と石庭は有名で、そのため当寺は「竹ノ寺」と俗称されるが、その庭の前方の崖中腹のやぐらには、足利家時墓、足利義久基という石塔がある。ノーベル文学賞を受賞した川端康成が、「山の音」執筆時に用いたという小机が本堂にある。 竹林が特に有名になったが、さして広いものではない。竹林の中の十字の小道から360度の竹林が日中の刻々と変わる光線の加減でしなやかに伸びきったブルーの青竹と節くれの模様が何とも言えない陰影とシンフォニーを奏でて、見あきない。 竹林にカフェがあるので、ここから眺めてもいいが、女性客の嬌声が雰囲気を壊している。ゆっくりと竹林を回ることをお勧めしたいので、平日にこそいくべきお寺であろう。 寺の歴史は諸説ある。寺伝などによれば、開基は足利家時、開山は天岸慧広、開創は建武元年(1334)という。 本尊は南北朝期の作の木造釈迦如来坐像。室町期には諸山に列せられた臨済禅建長寺派。 貞事二年(1685)成立の『新編鎌倉志」は、「源尊氏の祖父伊予守家時の建立なり。家時を ... 2011年11月16日再生回数 144 |
![]() | 湘南の落日100選ー鎌倉市材木座海岸での夕焼け(10/25 ) 3★ 湘南の落日100選ー鎌倉市材木座からの夕焼け(2011、10,25午後4時45分)和賀江島の前に漁船が3つ、伊豆半島に真っ赤な夕日が落ちる。 日本に残る最も古い築港跡―和賀江島(鎌倉市材木座六丁目) 東国の1寒村にすぎなかった鎌倉は、治承四年(1180)頼朝がこの地に腰をすえてから、都市として整備がすすめられた。四十余年後には奈良・京都に次ぐ政治の中枢地としでの基盤を固めた。 和賀江島の地名のいわれについては承元3年(1209)五月二十八日、土屋宗遠は梶原景時の孫同家茂を「和賀江ノ辺」え殺害。貞応二年(1223)、九月五日午ノ刻(正午)、「和賀江ノ辺」で火事などと『吾妻鏡』に記載されている。飯島・西浜とも呼んだらしい。 貞応二年四月頃の「由比の浜」を「海道記」は次のように記している。『数百艘の舟ども、つなをくさりて、大津のうらに似たり。千万字の宅、軒をならべて、大淀のわたりにことならず。(中略)東南の角一道は舟の津、商売の商人百族にぎはひ、東・西・北の三方は、高卑の山、風のごとくに立過て、所をかざれり』 すでに良港として賑わっていたようだが、和賀江、飯島、西浜などの記載はない。 しかし、鎌倉の海はいつも波が荒く、天災地変は容赦なくおそった。地震、大風・激雨洪水などの災害の多かったことは、「吾妻鏡」が伝えている。 このため、由比ヶ浜港を守るためのた堰堤工事が計画された。 貞永元年(1232)七月十二日、勧進上人の往阿弥陀仏が、「舟船着岸の煩い無からんがため、和賀江島を築くべし」と、幕府に築島の許可を申請し。執権北条泰時は許可、同十五日に工事が開始された。泰時の家臣平盛綱が立ち会い八月九日に完成した。しかし『鎌倉大日記」は「七月十二日、九月二十八日に至る。鎌倉に飯島を築く。往阿弥勧進」とあるので当時は、まだ「飯島 ... 2011年10月25日再生回数 55 |









