「旅順虐殺事件」に関連した動画の一覧 |
![]() | 「一万円札から福沢諭吉の引退を勧告する」安川寿之輔講演9 日清・日露戦争の暗黒を隠蔽し、擁護・合理化・激励する福沢の戦争報道。さらに韓国併合(併呑)の可能性を予告などさまざまな過激な言論活動。 2010年08月30日再生回数 394 |
![]() | 大連~旅順を行く シリーズ"中国満州国の幻を追う"外国人立入禁止区域 【読者投稿ビデオ】投稿者:粟田幸次郎(泉佐野市) 大連~旅順を行く シリーズ"中国満州国の幻を追う"外国人立入禁止区域この当時は外国人立入り禁止区域であったが、投稿者は中国人を装い、この区域を取材することに成功した。 旅順口区(りょじゅんこう-く)は中華人民共和国遼寧省大連市に位置する市轄区。遼東半島の最西部(突端部)にあり、天然の良港として知られて、かつては軍港都市であり、現在は大連市に編入されている。区人民政府の所在地は新城大街1号にある。大連市内からは45kmの距離で、国家級風景名勝区、国家級自然保護区に指定されている。陸地面積506.8平方km、海岸線の長さは169.7km。沿海では真珠の養殖が盛んである。 旅順口区政府は2009年3月20日付の招待会で、旅順口区を外国人にも開放し、軍事禁区以外は外国人も訪問できるようになったと発表した[1] 。しかし、この発表は大連市や国家レベルの承認も得たものでない旨、日本領事館大連事務所から注意喚起されている[2]。市および国家からの正式文書を得た段階で、下の「現状」にある訪問制限の記述も変更される。近代に入るまで、目立った歴史は記されていない。1858年から1860年まで戦われたアヘン戦争時、イギリス海軍のアーサー中尉指揮するフリゲートが寄港したことで、ポート・アーサー(Port Arthur, Порт-Артур)の名称が欧米に知られるようになった。 もともとは人家もまばらな、寂しい漁村であったが、1878年に清の北洋艦隊の根拠地となったことから、町が形成された。日清戦争中の1895年には、日本陸軍に占領された。この際、欧米記者によって、日本軍が行ったともいわれる旅順虐殺事件が報道され、問題となったが、日本政府は事実無根であるとした。下関条約により、旅順を含む遼東半島は日本に割譲されることに決まっ ... 2011年12月09日再生回数 985 |
![]() | 日本・ベルギー交流秘話 ~日本を救った二人のベルギー人~ 「日本軍による虐殺はなかった」と主張したダネタンと、震災に苦しむ日本人を支援したパッソンピエール●明治初期にベルギーを訪問した岩倉使節団を出迎えたアルベール・ダネタンは、その経歴を買われて日本へ赴任、駐日公使を12年も務めた人物だ。このダネタンは、後に日本の危機を救うこととなる。 ●明治27年(1984)の日清戦争の際、諸外国の新聞は、「日本軍は旅順で多くの一般住民を虐殺した」と報じ、強く日本を非難した。しかし、ダネタンは自らこの事件を調査し、「日本軍による虐殺」が誤報であることを明らかにするのだ。またダネタンは、日本の赤十字が見事に機能している様子や、清国人捕虜に対して日本軍が厳格にジュネーブ協定を守っている事実も広く世界に紹介し、列国の誤った対日意識を是正したのだった。 ●さらに大正12年、関東大震災による未曾有の惨事に見舞われた日本に対し、温かい支援の手を差し伸べたのもベルキーだった。東京都復興記念館に展示されている1枚の絵。この絵に描きこまれている人物こそ、日本の支援のために奔走したアルベール・ド・パッソンピエール大使である。 ●ベルギーはなぜ、かくも日本に好意を寄せたのか。2人の人物の足跡を辿りながら、明治~大正期における両国の交流の歴史と絆を浮かび上がらせる。 2009年11月19日再生回数 13818 |


