「渡島半島」に関連した動画の一覧 |
![]() | m03304 渡島半島 2012年02月03日再生回数 0 |
![]() | 日本の地理 半島 3304 渡島半島 2011年09月02日再生回数 0 |
![]() | 江差追分唄佐々木基晴Esashi Oiwake 「江差追分」は、信州の街道を上下する馬子たちに唄われていた馬子唄が、参勤交代の北陸武士や旅人瞽女(ごぜ)等によって越後に伝わり、さらに海辺のメロディーに変化して、船乗りに唄われ北前船で蝦夷地に伝わり謙良節と合流し、荒い波濤の中で哀調を加え、江差追分が生まれたといわれています。 2009年05月08日再生回数 72994 |
![]() | NCV「函館酒場寄港」第八夜右左光 【寄港店】右左光 【取材データ】函館市湯川3丁目 / 2009年11月06日収録 【放送データ】2009年11月23日〜12月27日、NCV(函館市のケーブルテレビ局 )にてリピート放送。15分番組。 【案内人メモ】函館が誇る温泉街の酒場。店名はご主人の実家だった置屋(芸妓の派遣事務所みたいなもの)の屋号を継いだもの。カウンター内で働いている女性は奥様ではなく常連客です。この日、いつもは一緒に働いている奥様は、TV収録を嫌がって出勤拒否だったそうで。ご主人はとにかくカラオケ好き。ついでに、案内人も「歌わされて」います。左隣にいた客は、たまたま第三夜で隣席した人の同僚でした。函館北高校(現在は市立函館高校に統合)のOBが集まる店でもありました。酔っ払い過ぎて、まわりの客を呼び捨てにして騒いでいたら、あとでテレビ局に「いかがなものか」というクレームが入ったそうで。その後の番組収録では、そのような演出はすべてNGになっています。後枠のコメントは見事にカットされていますが、これは湯の川という町の歴史を語っていました。温泉街というよりも、ここは渡島半島東部の下海岸の漁村や亀尾周辺の農山村と函館という都市を結ぶ要衝だったのだ、と語っていたのですが。 2011年01月16日再生回数 1028 |
![]() | 寛保津波が58m押し上げた? 乙部町の稲倉石(2011/08/31)北海道新聞 江戸時代中期の1741年(寛保元年)、渡島半島の日本海沿岸を襲った「寛保(かんぽう)津波」により、標高50メートルを超える山の中腹まで押し上げられたと言い伝えられる巨石が、檜山管内乙部町にある。通称「稲倉(いなくら)石」。現存する場所の地層とは成分が異なり、かつて海の近くにあった痕跡も見られることから、8月31日に現地調査した東大地震研究所の都司嘉宣(つじよしのぶ)准教授(63)は、「津波が稲倉石を運び上げた可能性は十分にある」と指摘する。(9月13日夕刊 社会面掲載) Copyright(c)The Hokkaido Shimbun Press. この映像の著作権は、北海道新聞社に帰属します。 2011年09月29日再生回数 1349 |
![]() | 晩秋の大沼国定公園(駒ケ岳) 枯葉を踏みながら湖畔へ。。晩秋の景色を眺めて来ました。 BGMは「♪枯葉」シャンソン歌いの友達YU-MEの歌声と藤本正孝氏のピアノで・・ ★函館から車で約30分。大沼国定公園は北海道南西部・渡島半島基部にある渡島駒ヶ岳とその西麓にある道内の上級公園では最も指定面積が狭い。1958年(昭3年)7月1日指定。渡島駒ヶ岳は円錐形の成層火山で現在も活動が盛んなため爆発による崩壊により、山頂部は特異な姿を象っている。大沼及び小沼は渡島駒ヶ岳噴火による土石流が山麓部の凹地を堰き止めて形成されたもの。大沼を代表に小沼蓴菜(ジュンサイ)沼などが点在し、周囲のシラカバ、イタヤカエデ林と相俟って、さながら裏磐梯のような風雅な湖沼景観を呈する。新日本三景にも数えられる景勝地である。 2011年11月23日再生回数 176 |
![]() | 乙部の四季(北海道乙部町) - 高画質版 ※再生画面の右下の360pを720pに変更すると高画質で見る事が出来ます。 私達が住む乙部町は、北海道の渡島半島の西部、檜山支庁管内のほぼ中央部に位置する日本海に面した小さな町です。 今回は乙部町の主なイベントを四季の風景と共に紹介しています。 乙部町には、乙部町を紹介するポータルサイト「とべとべおとべ」、乙部町内でネットショップを運用している店舗、特産品を紹介するショッピングモール「とべとべもーる」があります。 「とべとべもーる」に掲載している店舗から、乙部町の特産品の購入が可能です。 詳細に関しましては、下記のリンクからご覧下さい。 乙部町役場ホームページ www.town.otobe.lg.jp 乙部町ポータルサイト「とべとべおとべ」 www.tobe-tobe.com 乙部町ショッピングモール「とべとべもーる」 http 2010年12月27日再生回数 526 |
![]() | 津軽線瀬辺地―蟹田間車窓(一部) 津軽線の瀬辺地―蟹田間の一部車窓です。 ちょうど海がきれいに見えるところです。 最初に見える半島は下北半島です。その後は海が少し写り北海道の渡島半島が見えます。こうして見ると近くに見えますが実際は約20キロも離れています。昨年(2009年)と2008年、24時間テレビでこの津軽海峡を泳いで渡るという企画をやっていましたがそれでは朝から日没目前まで泳いでゴ―ルした時は感動しました。 そんな津軽海峡は悲劇の舞台でもあり。戦時中一夜にして8隻あまりの青函連絡船が沈められ昭和29年の洞爺丸台風(台風15号)による洞爺丸事故では1000人近くの人が犠牲となりました。洞爺丸事故と戦時中の空襲による犠牲者のご冥福をお祈りします。 2010年04月17日再生回数 290 |
![]() | 道南口説 道 南 口 説オイヤ アー サアエーオイヤ 私しゃこの地の荒浜育ち 声の悪いのは親譲りだよ 節の悪いのは師匠ないゆえに 一つ唄いましょはばかりながらオイヤ 主と別れた 山の上の茶屋で カモメ泣く泣く臥牛のお山 甲斐性ないゆえ 弁天様に ふられふられて 函館立てばオイヤ 着いたところが 亀田の村で 右にゆこうか 左にゆこか ままよ七飯浜(なないはま) 久根別(くねべつ)すぎて行けば情けの 上磯(かみいそ)ござるオイヤ 登り一里で 下りも一里 浜に下がれば 白神の村 波は荒磯 荒谷をすぎて 大沢渡って及部(おいべ)にかかりゃついに見えたよ 松前城下 今夜の泊まりは 城下の茶屋で泊まるサエオイヤ アー サアエーオイヤ 上でゆうなら矢越の岬よ 下でゆうなら恵山のお山 登り一里で 下りも一里 恵山お山の 権現様よオイヤ わずか下れば 湯茶屋がござる 草鞋腰に付け とどほけ通れば恋の根田内(ねたない) 情けの古武井(こぶい) 思いかけたる あの尻手内(しりしない) オイヤ 沖に見えるは ありゃ武井の島 武井の島には鮫穴ござる とろりとろりと 浜中通りゃ 沖のカモメに 千鳥ヶ浜よオイヤ 戸井の岬を左にかわし 汐の名を取って汐首の浜 顔を隠して釜谷をすぎりゃ小安気もやく 皆谷地山(みなやじやま)よオイヤ 着いたところは 湯ノ川村よ さても恐ろし鮫川ござる お前砂森 わしゃ高森よ ついに見えたよ 函館の街今夜の泊まりは 新川茶屋で 泊まるサエー 北海道函館地方が本拠の口説き節。その発祥は江差松前など渡島半島沿岸の魚場が「江戸にもない春の鰊景気」で沸き立っていた昔、津軽方面から渡って来たゴゼや座頭たちが客の前で歌った三味線の弾き語り「新保広大寺くづし」が変化したものである。当時の旅芸人たちは客の求めに応じて「新保広大寺くづし」の節に乗せて「鈴木主水」や「八百屋お七」などの ... 2012年01月11日再生回数 514 |
![]() | 【北海道発祥の地上ノ国町】 北海道発祥の地上ノ国町には数々の歴史遺産があり、 その代表に「史跡上之国館跡(国指定史跡)」があります。 教科書にも載るほど「世界の中世史」に欠かせない史跡です。 また、北海道で最古の寺「上国寺(国指定重要文化財)」や北海道で最古の民家「旧笹浪家住宅(国重要文化財)」など多数の歴史遺産があります。 "上ノ国"という町名の由来は,かつて 15世紀ごろに, 渡島半島の日本海側は「上ノ国」, 太平洋側は「下の国」と呼ばれていました。 2010年08月17日再生回数 204 |
渡島半島に関連した本
- 近世渡島地方史 (1958年) 松本 隆 松前史談会









