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![]() | Taiheiki The Incompetent Hojo Shiken 鎌倉幕府の統治構造 今日、歴史学上では初の武家政権及び武家政治の創始は平氏政権にあるとされるが、朝廷から独立した本格的な武家政権が鎌倉幕府であることは間違いない。当初の鎌倉幕府は鎌倉殿を主宰者とする武士を首班とした地方政権であり、支配は東国を中心としており、西国や九州では幕府の力は及んでいたものの弱い面があった。承久の乱後、全国政権へと飛躍し、権力を拡大させたものである。 その政治的基盤及び軍事的・経済的基盤は頼朝が平氏追討などで獲得した関東知行国、関東御領であるが、その本質は鎌倉殿と御家人の封建的主従関係を基礎とする御家人制にある。この御家人制は平安時代以降の土地制度である荘園公領制に立脚した守護地頭制に由来し、御家人に対して先祖伝来の所領の地頭に任命する本領安堵、また武功に対して新たに地頭に人目し所領を与える新恩給与による御恩を受ける代わりに鎌倉殿の課す軍役や京都大番役、鎌倉番役を課す奉公によって成立している。 1189年、頼朝政権は、奥州合戦で奥州藤原氏を滅ぼし、対抗しうる武家勢力はいなくなった。1190年、頼朝は常設武官の最高職である右近衛大将に補任されたが、同職には様々な政治的制約も付随していたため、すぐに辞している。1192年、頼朝は征夷大将軍に任命される。征夷大将軍自体は長く任命されていない形骸化した令外官の官職であったが、それまで頼朝が持っていた鎌倉殿としての権威や朝廷から獲得していた様々な政治的・軍事的権限と一体視されていくことで新しい意義を持った官職として後継者に継承されることになった。後に源頼朝は武家政権の始祖として武士に神聖視されることとなる。これにより、鎌倉幕府の形成がひとまず完了することとなる。ただし、1221年の承久の乱での勝利をもって幕府の成立とする見解も ... 2011年01月22日再生回数 1428 |
