「西洋音楽」に関連した動画の一覧 |
![]() | 交響曲第1番《HIROSHIMA》 / 佐村河内守 佐村河内守の最新情報はこちら↓ columbia.jp アルバム『交響曲第1番《HIROSHIMA》』 (2011.7.20発売・COCQ-84901・¥2940(税込))より「交響曲第1番《HIROSHIMA》」 演奏:大友直人指揮 東京交響楽団録音:2011年4月11-12日 パルテノン多摩全ての聴力を失う絶望を経た作曲家、佐村河内守が完成させた《交響曲第1番》。 中世以来の西洋音楽の歴史を包含し、ブルックナー、マーラー、ショスタコーヴィチ等、ロマン派シンフォニストの系譜を受け継ぐこの交響曲は、佐村河内の出自(被爆二世)が反映された自伝的作品でありながら、「闇が深ければ深いほど、祈りの灯火は強く輝く」という作曲者の言葉に象徴されるように、東日本大震災の惨禍を経験した私たち日本人の心にも深く通じる、魂を救う真実の音楽といえましょう。危険を感じる大きな余震が続く中での録音セッション。大オーケストラが、大友のタクトのもと、まさに一塊の火の玉となり燃え上がるさまは圧巻の一言です。 最終楽章、苦しみと闇の彼方に、希望の曙光が降り注ぐ--。「現代に生まれた奇跡のシンフォニー」を、是非お聴きください。 2011年07月13日再生回数 10532 |
![]() | 西洋音楽夜話 無伴奏チェロ組曲1 2012/05/23にかがよひで開かれた「西洋音楽夜話 その4 バッハ」でチェロの演奏がありました~ - Captured Live on Ustream at www.ustream.tv with the Ustream Mobile App 2012年05月24日再生回数 0 |
![]() | 西洋音楽夜話 無伴奏チェロ組曲2 2012/05/23にかがよひで開かれた「西洋音楽夜話 その4 バッハ」でチェロの演奏がありました~ - Captured Live on Ustream at www.ustream.tv with the Ustream Mobile App 2012年05月24日再生回数 0 |
![]() | お前が欲しい(Je te veux) フランスの作曲家エリック・サティが1900年に作曲したシャンソン。 オリジナルは歌曲で、スロー・ワルツの女王と呼ばれた人気シャンソン歌手、ポーレット・ダルディの為に書かれた。現在はピアノソロでの演奏が一般的。 エリック・サティ(Erik Satie/1866-1925)は、「音楽界の異端児」、「音楽界の変わり者」などと称され、西洋音楽の伝統に大きな扉を開いた革新者とみなされています。 ドビュッシーやラヴェルらにも大きな影響を与え、西洋音楽史の観点からも重要な人物とされています。 2010年04月23日再生回数 3828 |
![]() | 松竹映画 「 二十四の瞳 」 仰げば尊し 松竹映画 「 二十四の瞳 」の、卒業式のシ-ンです。最近卒業式で、歌われなくなってしまったので、懐かしく、忘れられないように、ここに、UPして残して起きます。 若林茂男★★★「仰げば尊し」文部省唱歌 ★★★ 仰げば尊し 我が師の恩 教えの庭にも はや幾年 思えばいと疾(ト)し この年月 今こそ別れめ いざさらば互いに睦し 日頃の恩 別るる後にも やよ忘るな 身を立て名をあげ やよ励めよ 今こそ別れめ いざさらば朝夕なれにし 学(マナ)びの窓 蛍のともしび つむ白雪 忘るるまぞなき ゆく年月 今こそ別れめ いざさらば★★★★★★ 『仰げば尊し(あおげば とうとし)』は、1884年(明治17年)に発刊された「小学唱歌集第三編」において、初めて日本に広められた唱歌の一つです。 かつては卒業式といえば『蛍の光』か『仰げば尊し』が歌われていましたが、歌詞の古臭さや時代の変化を理由として、あまり公式行事の中で歌われなくなっているようです。 古いのも無理はありません。100年以上前に作られた曲なのです。当時の日本では、まともな音楽教育制度もありませんでした。 西洋音楽から大きく遅れを取っていた当時の日本は、欧米諸国に追いつけ追い越せとばかりに、アメリカのボストンから音楽教育で実績のあったメーソン(Mason, Luther Whiting/1828-1896)を呼び寄せました。 メーソンの指導の下、既存の西洋音楽の中から日本人に親しみやすい曲を選び、そのメロディーに日本語の歌詞を付けて、日本の音楽教育「唱歌」の教材としました。こうして明治時代に生まれた唱歌の一つが、この『仰げば尊し』なのです。 メーソンが日本に紹介したのは、当時アメリカでも広まっていたスコットランド民謡、アイルランド民謡、ドイツ民謡、賛美歌などから選ばれた曲が多かったようです。 「小学唱歌集」に掲載 ... 2010年07月19日再生回数 51188 |
![]() | 西洋音楽開演 点滅壱八弐 のつつみこみ 2012年05月06日再生回数 4 |
![]() | 弦楽セレナーデ ・ チャイコフスキー ・ The Setting Sun in Tokyo City.mpg Tchaikovsky:Strings Serenade in C major, Op48 1st movement: Andante. classical-sound.seesaa.net Classical music sound library クラシック名曲サウンドライブラリーからDL。www.youtube.com クラシク音楽 夕暮れtwilight riverside TVCM 「チャイコフスキー:弦楽セレナーデ ハ長調 Op.48 第1楽章♪テレビCMでもおなじみの印象的な序奏チャイコフスキーはモーツァルトを神のように尊敬していました。 彼が同時代のロシア5人組の作曲家たちによる、 民族主義音楽と袂を分かって独自の西洋音楽路線を突き進んだ背景には、こうしたモーツァルトなど西洋音楽に対する絶対的な愛があります。 そんな敬愛するモーツァルトのセレナーデ「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」を手本に作曲したのが、 この「弦楽セレナーデ ハ長調」です。 全4楽章すべてが魅力に富み、 チャイコフスキーを代表する作品のひとつになっています。 ひところテレビCMでも頻繁に流れていましたから、 出だしを聴けばすぐにおわかりと思います。 チャイコフスキーらしい親しみやすく、旋律も美しい作品です。 」 クラシック名曲サウンドライブラリーから転載 2012年02月08日再生回数 874 |
![]() | 葵と楓089:恋のフーガ (合格おめでとう版) 葵と楓089:恋のフーガ西洋音楽で使うことばに,和声法とか,対位法とかいうものがあります。和声は,西洋音楽の音楽理論の用語のひとつであり,和音の進行,声部の導き方および配置の組み合わせのこと。メロディ(旋律),リズム(律動)と共に音楽の三要素のひとつとされる。ということは,和声法はその関係の理論でしょうか。では,対位法とは,何のことでしょうか?小学校での唱歌を唄う場合,メインに,メロディがあって,ピアノが伴奏する。このようなシンプルなケースを,ホモフォニーということばで表現します。これとは反対で,あっさりとしてない状況を,ポリフォニーということばで表現します。唱歌と,カノン・フーガは全然ちがうということですね。輪唱というのは,カノンの一種にちがいないのですが,各自の歌声が独自にあって,主役はない。こっちの世界では,それぞれの声は,和音を作ります。西洋作曲家は,ここで,各メロディの線的流れに注目し,対位法という作曲技法を確立しました。実践では,二声1対1対位法からスタートし,高度な実習に向かいます。音楽をとおして,考えた方がわかり易いからです。ところで,カノンとは,何でしょうか。女の子の名前にもあります!最後の部分は調整ということもあって,例外となりますが,各声部が,同時に終結するために,曲の全体とおして後続部が先行部を模倣する音楽形式をカノンといいます。八度カノンが,次に,五度カノンが多く用いられます。(上声部の先行声部に対して,下声部が一小節だけ遅れている。模倣旋律が先行旋律からちょうど八度下に配されているので,このようなカノンは八度の平行カノンと呼ぶ)。各声部が相互に,対位法的関係で整合するように工夫されます。先行した部分で和音が形成された場合,模倣部分にも同様の和音が ... 2012年02月05日再生回数 378 |
![]() | 日本と西洋 帝蓄音楽團 大正8年(1919年)~大正14年(1925年)までの発売。(大正10年代前半がより確実だと思います) 喜歌劇 日本と西洋(上下) 東京 帝蓄音楽團 4709/4710 楠木公レーベルのテイチクとは一切関係のない、ヒコーキレーベルの帝國蓄音機商会が発売したレコードです。この会社は、初期に複写盤も製造していたとの事ですが、この盤は恐らく自社吹込みだと思います。 内容は、夫婦のなかで夫が支持するヨーロッパの歌か、妻が支持する日本の唄かをめぐり夫婦喧嘩に発展しますが、結局仲直りをして和洋合唱をするという面白い内容です。 2011年08月15日再生回数 220 |
![]() | 葵と楓088:三味線ブギウギ &恋のフーガ (百人一首版) 葵と楓088:三味線ブギウギ &恋のフーガ (百人一首版) 日本における,少女歌劇の元祖について・・・・ 昔日本の都市に,歌劇場が,あまりない時代がありました。当時ヨーロッパには,過剰なほど,歌劇場があったのです。渡辺裕氏は,初期の宝塚のことを書いて著作を残しています。日本の音楽文化(歌劇中心に)のパラダイムが変化した,というわけです。 この本の中では,当初は,プロのイメージも薄く,学芸会の延長的なものだったと述べられています。必ずしも,芸術作品としての構想もないまま,好評を博し,気がつくとビッグになっていた!ということでしょうか。小林一三専務が,有名な人ですが,彼自身「芸術」という意識は薄弱だったのかもしれませんね。 だって,温泉に付属する,アトラクションだったわけで,遊園地内で,通過していく大衆を主要なターゲットにしている団体とどこか似ていますよね。でも,きっと,小林一三専務という人は,来るべき将来の本格的な,日本独自の歌劇文化の中心を意識して,改革していくのですから,えらいものです。スタッフを充実させ,徹底した教育を開始したようです。この時点で,小林氏は,最近の子どもが,西洋的な唱歌教育に浸り,長唄・常磐津などを軽視していることを問題視していますね。 「我が国民の聴感は,西洋音楽の階調に馴らされ,三絃などを主なる楽器とする清元・常磐津・長唄などは,終に遠きものとなり・・・」 西洋音楽(ダンス・唱歌)が,歌舞伎劇に加味され,調和して,出来るものを模索。大劇場向きの芝居,国民劇と呼べるもの,を目指そうとする。少女歌劇は,まさにそのために第一歩として位置付けられたのです。 参考文献:宝塚歌劇の変容と日本近代,渡辺裕, 2012年01月15日再生回数 415 |









