「詞花和歌集」に関連した動画の一覧 |
![]() | カキツバタと大田神社 Kakitsubata, a kind of iris and Ohta Shrine in Kamigamo, Kyoto 古代、上賀茂神社や大田神社がある上賀茂の地は沼地で、賀茂氏によって開墾されたと言われています。大田神社の東側には今も約2千平方mの沼沢地が残り「大田の沢」と呼ばれています。この沢には古代より野生のかきつばたが美しく群生したと言われ、平安時代の和歌の大家で『千載和歌集』の編者として知られる藤原俊成(ふじわら の としなり) も大田神社のかきつばたを歌に詠んでいます。 神山や大田の沢のかきつばた ふかきたのみは 色にみゆらむ(上賀茂神社の御降臨山である神山の近くにある大田神社のかきつばたに、 ふかくお願いする恋(いろ)は、かきつばたの色のように一途で美しく可憐なんだろう) カキツバタの見頃は5月上旬から5月中旬頃です。 国の天然記念物に指定されています。 大田神社(おおたじんじゃ)は古くは恩多社(おんたしゃ)とも言われ、 古い神社で延喜式にも載せられている式内社です。上賀茂神社(賀茂別雷神社)の摂社で、上賀茂を開墾して栄えた賀茂氏によって崇敬されました。 御祭神として天鈿女命(あめのうずめのみこと)が祀られています。 日本の美 2012年05月16日再生回数 130 |
![]() | Nakatsuna's Horse.wmv Minamoto no Nakatsuna (died 1180) was an elder son of Minamoto no Yorimasa, was on active service, fighting in the Battle of Uji in 1180 during that part of Gempei War. He, his father and young brother Minamoto no Kanetsune were fighting against Taira samurai. But they were not able to defeat the enemy so they safely returned to Byodo-In temple for a short time. While Yorimasa's sons defended the temple, Yorimasa was on his way to Seppuku rather than surrender. Nakatsuna fought but died afterward. 源 仲綱(みなもと の なかつな)は、平安時代末期の武将・歌人。源頼政の嫡男。母は源斉頼女。官位は正五位下、隠岐守、伊豆守。 源頼光に始まる摂津源氏の一門であり、代々大内守護(内裏の警護)の任にあったと云われる。久寿2年(1155年)、守仁親王(後の二条天皇)が立太子されると蔵人に補され、東宮(皇太子)に仕えた。平治元年(1159年)、父頼政は平治の乱で平清盛に味方し、その結果、源義朝の河内源氏(源頼信の系統)は没落するが、摂津源氏は平氏政権下の中央に留まることになった。 乱の後に義朝の三男であった源頼朝が伊豆国蛭ヶ小島へ配流となったが、この時期に仲綱は伊豆守となっており、一説には流罪の身となった頼朝を伊豆へ運んだのは、頼政の配下の摂津渡辺氏だともされる。 平氏政権下における仲綱の動向としては、仁安3年(1168年)に伊豆守であった仲綱が国内の不作によって朝廷に献じる五節舞の舞姫の費用を弁じることができない旨の請文が現存しており、頼政・仲綱父子の動向を知る数少ない史料となっている。そのほか大内守護の任にある仲綱は頼政とともに天皇や法皇に仕え諸行事に供奉しており、また父祖同様歌人としての活動が知られ ... 2010年12月26日再生回数 5804 |
![]() | 青葉の笛(再録).AVI 文部科学省唱歌です。悲しい平家の物語です。 一の谷の 軍(いくさ)破れ討たれし平家の 公達あわれ暁寒き 須磨の嵐に聞こえしはこれか 青葉の笛 更くる夜半に 門(かど)を敲(たた)き わが師に託せし 言の葉あわれ今わの際(きわ)まで 持ちし箙(えびら)に残れるは「花や 今宵」の歌一番は平敦盛(あつもり)を歌った詞 鵯越えで有名な一の谷の合戦で、海上に逃れようとした敦盛は、熊谷直実に呼び戻されました。 敦盛を組敷き首を刎ねようとした直実は、14歳の敦盛に驚き逃がそうとしたが、敦盛は断りそのまま討たれました。 その時腰に携えていた笛「名笛小枝」を歌ったものです。 二番は平忠度(ただのり)(薩摩守で無賃乗車の代名詞として使われている)平家都落ちの時、途中から引き返して、和歌の師藤原俊成に詠草一巻を預け立ち去りました。 俊成は鎌倉幕府に遠慮して読み人知らずとして「千載集」に下記の和歌を載せています。 さざ浪や 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな 2010年09月08日再生回数 1115 |
![]() | 夜來響4. 金縷曲(詞:敏翔、曲:輕輕) 詞:敏翔曲:輕輕每當午夜時我家壁虎就吟詩嘖嘖唐人句真像秋娘金縷曲莫待無花空折枝歌譜: yuhsia.com ching ching music 2009年10月29日再生回数 221 |
![]() | 平忠度(たいらのただのり)塚歩き撮り。 平忠度は清盛の弟であり、薩摩守に任じられていました。武勇にも秀でていましたが、和歌をたしなんで、その道の名人である藤原俊成に教えを受けていました。 忠度が一の谷で討ち死にしてから三年後、俊成は勅撰和歌集・千載集を作りましたが、その中に忠度の歌を一首入れました。 「ささなみや 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山ざくらかな」 ただし本人は当時朝敵であったので、俊成はその名をかくし、「よみ人知らず」として入れたのです。 合戦は序盤は平氏方の陣に源氏軍主力が打ちかかる形で行われ、一進一退の攻防が繰り広げられましたが、平氏の陣の背後の崖(鵯越)を源義経率いる源氏別働隊が駆け下りて背後を突き、平氏方は算を乱して潰走しました。この敗戦の中、平忠度は一人踏みとどまり多数の源氏方武者と戦うもののついに岡部六弥太忠澄の配下の武者に右腕を切り落とされる。観念した忠度は念仏を唱え、忠澄に討ち取られます。名乗らずに討ち取られたのですが箙(えびら)に結びつけていた書状に記されていた和歌から忠度と分 かったと伝えられています。敵味方共に平忠度の死を悼み、懇ろに弔ったと伝えられています。 この一の谷合戦で敗れた平忠度の右腕を祀る「腕塚神社」がここから北に歩いて2分のところにあります。 今度のNHK大河ドラマには多分名を連ねることはないと思います。残念ですが・・・ 1184年2月7日死去 41才 2012年01月04日再生回数 126 |
![]() | 愛的代價Live (Jazz Version) by Percy Wong 這個輕快的Jazz版本我一直想試, 但用電腦編曲很沒生命;在一次和歌友們玩互相配唱時叫琴師試試彈出來,怎知他真的完全演奏出我想要的groove! 大家試了一次便用iPhone 錄下這個版本,雖然瑕疵很多,但我們還是很喜歡,希望你也一樣! 愛的代價Jazz Version Keyboard & arrangement : Lynx Choi 曲、詞:李宗盛還記得年少時的夢嗎像朵永遠不凋零的花陪我經過那風吹雨打看世事無常看滄桑變化那些為愛所付出的代價是永遠都難忘的啊所有真心的癡心的話永在我心中雖然已沒有他走吧走吧人總要學著自己長大走吧走吧人生難免經歷苦痛掙扎走吧走吧為自己的心找一個家也曾傷心流也曾黯然心碎這是愛的代價也許我偶爾還是會想他偶爾難免會惦記著他就當他是個老朋友啊也讓我心疼也讓我牽掛只是我心中不再有火花讓往事都隨風去吧所有真心的癡心的話仍在我心中雖然已沒有他 2011年10月31日再生回数 477 |
詞花和歌集に関連した本
- 金葉和歌集 詞花和歌集 (新 日本古典文学大系) 工藤 重矩 岩波書店
- 和歌文学大系 34 金葉和歌集・詞花和歌集 柏木 由夫 明治書院
- 金葉和歌集・詞花和歌集 (覆刻日本古典全集) 現代思潮新社





