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![]() | Taiheiki Ko no Moronao 3.wmv 高師重の子として生まれる。足利尊氏の側近として討幕戦争に参加し、建武の新政においては、師泰と共に窪所・雑訴決断所の役人に任じられている。 1338年、尊氏が征夷大将軍に任じられ室町幕府を開くと、将軍家の執事として絶大な権勢を振るった。 南北朝の動乱では、延元3年/建武5年(1338年)に和泉堺浦で北畠顕家を、正平3年/貞和4年(1348年)の四條畷の戦いでは楠木正行・正時兄弟らを討ち、さらには吉野山へ攻め入って(吉野城の項を参照)南朝方を賀名生(奈良県五條市)へ撤退させるなど、主に軍事面で活躍した。 幕府内部は、将軍尊氏と政務を取り仕切る直義の足利兄弟による二頭制となっていたため、やがて両者の間に利害対立が頻発。師直は直義と性格的に正反対だったこともあって直義との対立が次第に深まっていき、幕府を二分する権力闘争へと発展していく。やがて、直義側近の上杉重能・畠山直宗らの讒言によって執事職を解任された師直は、師泰とともに挙兵して京都の直義邸を襲撃する。さらに直義が逃げ込んだ尊氏邸をも包囲して、尊氏に対して直義らの身柄引き渡しを要求する抗争に発展した。尊氏の周旋によって和議を結んだものの、直義を出家させて引退へと追い込み、幕府内における直義ら反対勢力を一掃した。しかし、一説にこの騒動は、師直と尊氏の示し合わせによるものといわれる。 2011年03月25日再生回数 6968 |
